love letter

2006年4月22日コメント (1)
私の考え方が頭が固くてウザったいっぽい。
私はヤツの地獄とやらをわかりきるなんてことはない。
わかってやる、はありえないとも思う。
でもね、辛いときに隣で同じ方向を見てくれる人がいたら、
地獄もまた少し変わってくるんじゃないかって、本気で思ってる。
気休めでもなく。全てを救うとか、そんなきれい事じゃなく。
過去に壊されたキモチや思いが鎖の重みのように残っていても、
今はまた少し違った景色を感じ取ることができるんじゃないかって。

 あの人は、私がオリに入ってるって言う。
あながち間違いでもない、とも思う。でも、私は籠により
安心をもらっていることもまた事実。自由を奪う籠であり、
心の安定でもある籠であり、私は籠も時にはうまく頼ってきた。
私を囲む籠は、太い電気の走った鉄格子ではない。
草で編んだ、ツタの、花の咲く覆いである。
私は鳥として、中から四季折々に咲く覆いの花さえ
楽しみに温かく眺めている。時折、覆いの外に口を出し、
また少し違った空のにおいを感じながら。

私のオリは痛みではない。守りの囲いである。だから、きっと守りたい。

でも
「お前と俺とじゃ違いすぎんだよ」って言葉が、言わないけどしみてくる。
ヤツの中にはこの思いがある。私が何もわかってないらしい。
ただ、私だってこの一年、泣き狂って叫びまくって傷作ってはい上がって痛みも悲しみも運命も罪さえ感じながら今の私になった。
たとえ今、何もわかっていないようにふわふわしているからといって
私の過去が全てふわふわして甘いものだったなんて、そんなはずないじゃんか。
むしろ逆だよ。私はいつも悲しみと影を感じながら自分をひっぱたいて
前へ生きてきた。どん底に思った。
……別に比べないよ。きっとあなたの重みは相当だろうね。
でも言いたいことは、それぞれに死にそうになったことはあるし
今笑ってたって昔のことは痛くて話せない事を誰も皆抱えてるって事。
私を。「何もわかってないヤツ」なんて、思わないで。
あんたを私はわかってる、なんては言わないし、それこそきれい事だよ。
だけどさ、もしこれからまた地獄が始まっても、一人じゃないじゃん。
お互いが、一緒にいるじゃん。
だから幸せになれる、なんて保証はないし、間違っていくこともあるかもしれない。
でもさ、私は隣に存在しているよ。
一緒に、同じ時間を生きてるよ。これだけは本当。
だから、顔見たくなったら横を見てくれるだけでいいし、
余裕あったら声かけてくれたっていいし、どうしても表情出したくなかったら
ずっとそっち見ててくれていいし。肌を感じてくれていれば、それでいいよね。
こういう状態なら、何か違うことが見えたりもするし、何かうまれるかもよ?
二人にとっていいことも、悪いことも。
悪いことだったらそれはつらいけどさ、そしたらそれも運命なのかもしれないし。
今いいと思える状態の二人でいたいね。

 ずっと隣を走っていたいな。本気で好きだよ。
                       
いつもうまく言えないけど、「一緒にいたい」の裏の思いは、これなの。

コメント

さち
2006年4月23日22:13

はじめまして。
さちです。
これからきっとここに来ると思います。
ヨロシクです。

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